県庁の端


(3)ブラックサンダーと例のメール








『つきあい残業の禁止を』
 少しだけ緊張の緩んだフロアの柱に、イラストとともにそう書かれた紙が貼ってあるのが見える。たぶんパソコンからプリントアウトされたやつだろう。クリップボードから適当に貼りつけたような踊る人形はフェンシングをしている。
――突き合い……
 まさかな、と思いつつも、にやけた口の筋肉を感じた。嫌いじゃないよ、このセンス。と、千秋は内心一人ごちる。たぶん誰の同意も得られないだろうけれど。
 もうすぐ昼休みも終わる。この売店も、ピークを過ぎて周りには誰もいない。とはいえ、また1時になったら、交代で昼休みをとった職員たちがやってくるだろうが……。
「千秋!」
 と久々の声に、切手などを入れているボックス越しに入り口の自動ドアのほうに顔を向けた。
「おー、成田じゃねぇか」
「こっちあったかいねぇ。いいなぁ、ギョーセイむちゃくちゃ寒いんだもん。まぁ、夏に比べたらまだマシだけど。夏はもう最悪」
「まぁ二階しかねぇしな。夏さぁ、そっち絶対冷房まわりきれてねぇよな」
「そうそう。総務課で28度にしたって、ウチじゃ絶対30度近くになってるって。ううー、あったかいー。ちょっとわけてよこの温度」
 千秋は回転イスに座ったまま、台に肘をついて笑った。
「ま、実は俺らんとこ、用務員さんに頼んで、ばれねぇ程度に設定温度変えてもらってんだよな。しれっと」
 ええー、と脱力したような声を発して、譲も弁当やパンが並ぶガラスケースに上半身をへたり込ませた。ん、とその大きな眼が見開かれる。
「ていうか千秋!その足元!何一人だけ温風器持ち込んでるのさ!」
「いいじゃねぇか。ここ入り口近くて寒ぃんだよ。職員には黙っとけよ」
「じゃあ口止め料」
「ちぇ、ちゃっかりしてんな。アイスでいいか」
「冗談だろ?」
 と、さっさと譲は、アイスケースの上の煙草やらガムやら並んでいるところから、ホット缶が入っているケースを開けて、「一本貰うよ」と、コーヒーをスーツのポケットに入れた。
「うー、さむ。あ、あとこののど飴ちょうだい」
「毎度」
 100円硬貨を受け取り、チーンと音を立てて開いたレジに食わせる。
 譲が所属するのは、この県庁の敷地内でも一番大きく広い行政棟だ。そこの8階の「不夜城」と呼ばれる部署に彼は配属されている。「いいよー」と、現実にはないことを知っているユートピアを見るような眼差しで、譲は言う。
――上も下も誰もいない。廊下も暗い、シーンとなったフロアでひたすら仕事してるとさぁ、だんだんパソコンの起動音が虫の音みたいに聞こえてきてさぁ……。知ってる?千秋。夏でも秋でも冬でも関係なく、夜に震えるあの音って、コオロギみたいなんだよ。
 風流だよねぇ、と一欠片も思っていない顔で目薬を射してあくびをした。
 行政棟を挟むようにして、西洋の城のようにそびえる議会棟、警察棟。
 そして、巨大な県立病院の庭にもよく似た緑生い茂る広い敷地の隅に、まるでおまけのようにぽつんと一つ建っている、総務企画局総合管理部南別館――通称・南別館。
 それが、「県庁端」とも揶揄される、千秋の第2売店があるこのセンターだ。
 全97課321係。各棟横は約10部屋、縦は13階建てというオフィス街の中でも特に中心となる広大な建物。
 これら全部をひっくるめて、視覚的な建物としての「県庁」を指す。


 ピンと張った堅い空気が動きを牽制しているような3つの本館たちと違い、どことなく小春日和のような柔らかな雰囲気と、日当たりのよい場所を確保した別館を見渡し、譲は行政棟から来るまでに冷えてしまった指を擦り合わせた。
「で、どしたのおまえ。仰木に用か?」
「うん?いや、午後から201会議室で話し合いがあってさ。ちょっと早めに来て高耶のところに顔だして行こうと思ったんだけど」
 いるかな、と高耶の部署あたりに首を伸ばす。
「あー、たぶんもうすぐ来ると思うぜ。この時間なら……」
 と千秋が言ったとき、本当にちょうどいいタイミングで当の本人が歩いてくるのが見えた。
「高耶!」
 と譲が手をあげて挨拶する。一見するとちょっと目つきの悪い、黒髪の若い青年は、中学からの親友の姿に驚いてから笑った。
「よぅ」
 少しだけ歩調を速めてやってくる。春にはまだ着慣れないとぶつぶつ言っていたスーツも、今ではまっすぐな背に沿って、十分サマになっている。譲は、それをどこか自分のことのように誇らしく思う。
「午後からこっちで会議なんだ」
 先に言ってから、手元のファイルから封筒を取り出した。「これ、成人式のときの写真」
「マジで?見せろよ成田!」
「変わんないよ、スーツだから」
「バッカ。誰がおまえたち見て楽しいよ。着物のかわい子ちゃんが見たいの、おれは」
 と、横から手を伸ばし、勝手に封を開けてめくり始めた。「おっ、この子いいねえ!『若者の会』に誘えねえかな」
 それを邪魔するように高耶が、わざと音をたてて小銭をケースの上に置く。
「ブラサン2個」
 おっくうげに顔をあげた千秋から、60円と引き換えにそのチョコを受け取り、一個を譲に放った。
「いいの?ありがと、高耶。これうまいよね」
「あ、千秋。あとツナサンドと、あー、ほら、あの、たにしみたいなパン」
「一回で頼めよ。っていうかなんじゃそりゃ。どれだよ」
 とケースを一緒に覗き込む。「これか?」
 千秋がチョココロネに手を伸ばすと、「違う」と高耶が言った。
「それヤドカリだろ。その横」
「……あー、うん。まぁ、タニシとヤドカリではあるね」
 と譲が、取り出されたバターロールを見て呟く。
「あれ、高耶今からご飯?」
「ねーさんに頼まれたんだよ。えーと、いくらだ?」
 ねーさん。高耶の先輩で、ウェーブのロングが綺麗な、やや背の高い美人の。チーン、と千秋が打ったレジの音と重ねて、譲は記憶を引き出す。
 さっそくブラックサンダーの袋を開けている高耶を見て、千秋が「あれ」と言った。
「そういやあ最近直江来てねぇな。もう議会の時期か?」
 ピタリと。高耶の手が止まる。
 高耶の他に一人だけ。いつも昼休みになったら煙草と一緒に、黒い雷神を買っていく男。ここ数日見ていない。
「……出張中だ」
 その間が意味するところを察して、自然と千秋の口端が思い出し笑いに持ち上がった。
「なーなーなーなー、今度はどこだよ?」
「……札幌事務所」
 じゃ、と挨拶もそこそこに切り上げて戻ろうとする高耶のスーツを、はっし!と掴んだ。
 にやりと笑って、千秋は「よこせ」の形で、手を出し出した。
「来てんだろ?室長からご当地小説」
 カモォォン、と小指から順番に手前にウェーブを寄せる千秋に、今度こそたっぷりの間をとり、ギギギギ…と旧式の機械人形のような動きで、高耶は首だけ振り返り。
 それはそれは、叫びたいのをなんとか抑えているような機嫌サイアクの顔で。
「…………暇なのか?アイツは……」
 それはそれは、
 地面すれすれを行くような重力の声で低く唸ったのだった。
















 ……――いつかまた、オレの雪に会いに来る。
 一度大きく伸びをし、高耶は十分暖まった教室で自分の机へと大きく足を伸ばした。

                          (終)


高耶さんへ

風邪などひいていませんか?
バレンタインに会えるのを、楽しみにしています。

            直江









「だぁーっ、はっはっはっ!ぶあっははははは!!いい!マジでいいよ!あー、涙出てきた。だんだん図々しくなってきたなアイツも!!」
「痛ぇ!叩くな千秋!!」
「いや〜すげぇ!もうここまで来ると、どこからツッコんでいいかわかんねぇ!あ、すんませーん!生一つー!」
「千秋、俺も生。あと焼き茄子のそぼろ味噌かけと、鉄鍋餃子と、ゴーヤーチャンプルとイカ玉フライパン……と、今空海サラダ。綾子さんはどうします?もう、鍋も頼んでおきますか?」
「そうね、ここのモツ時間かかるし、先にもう頼んでおいちゃいましょう。すみません、トマト薄切りごまドレッシングかけと、もつ鍋……食べきれるかしら。とりあえず2人前!」
「はい、ありがとうございます!モツ、二人前いっちょー!今食うかい?」

『後で食う〜!!』

「ってハモったな」
「ハモったわね」
「うーん……とうとう、二人の世界になっちゃったねぇ。これ、高耶の庁内アドレスだけど、出張先なら全庁LANじゃないよね?外部パソコンからはアク禁なのに、直江さん、自分のから勝手にログインしたんだな」
「……頼んでねえ」
「あっ、そうよ!なんであたしがいないの!?チョイ役でさえいないじゃないの!」
「生徒役でか?おまえそれはちょっと図々しいんじゃねーの」
「チアキングうるさい!」
「痛って、蹴るなって!ん?ん?でぇ、チョコやんのぉ、オーギくんはぁ。やってみたら?ホワイトデーに、“給料三か月分”貰えるかもよー」
「……やらねえ」
「俺としては、沖縄の海で溺れて死んだヤンキーが、霊界探偵になって生き返って、指先から霊弾撃ちながらふたたびリングで真っ白に燃え尽きる話がよかったなあ」
「サンドーバックにー浮んでー消えるー。『――直江。おまえはリングを下りるなよ』。そう言い、高耶は消えるのであった……。立てー!立つんだ高耶ー!鬼の錬金術師ってのもあったよな。毎年なまはげの時期になると手が鬼の手に変身して、『大和はいねがー!大和はいねがー!』って彷徨う教師の」
「東京タワーに新手のスタンド使いが300人ってのもあったわよねぇ」
「え、それ俺見てないですよ。一番最初に見せてもらったの、四国に行ったときのでしたから。ちょうど知事選でバタバタしてる時期で、土佐の男たちの前で、オレが男塾塾長仰木高耶だ、って雨の中大演説をする話で、タカヤの政と書いてまつり」
「……もう混じりすぎてて原型わかんねーよ」
「この前は大阪だっけか。双子の兄弟、直江と……そう、義明がいて、兄が銃弾に倒れるんだ。残った直江は企業の事業団へ――。試合当日、直江に電話をかける高耶。『高耶を甲子園へ連れてって……?』タイトルはたしか――」

「『タイガース・愛』!」
「『タイガース・愛』!!」

「次元とか時代とかそういうのを飛び越えたきっかけになった作品よね」
「まああれだよな」
「まああれよね」
「直江さんって早く生まれすぎたよね」
「仰木は名誉毀損で訴えるのが遅れたよな」
「……最初はまだマトモだったんだよ」
「はー。まぁ俺様は嫌いじゃねぇよ?このセンス。しかし今回は元ネタがわかんねぇな……創作か?」
「大阪の後で反省したのかな。めちゃくちゃ全員で同情しちゃったからね。直江さん、本当に忙しいんだなあって。今までのに比べたら今回はまだマシだよね。ちょっと二人が仲いいだけで」
「どこがマシだ……。つうか、北海道なら県庁じゃなくて道庁だろ……」
「うんうん。むちゃくちゃ節操なくなってきたなあ、直江のやつも。そのうち県庁舞台で書かれるぞ。たぶん勝手に同じ課とかにされてオフィスラブストーリー」
「それより北海道で冷暖房完備じゃない学校ってどうよ!想像したら寒々しすぎたわ!あたしだったら絶対お断りね。それに大概向こうって、二枚窓じゃないのかしら」
「雰囲気作りにしても強引すぎるよね……」
「そう言う意味じゃあ、今回もやっぱ暇じゃないんだろうけどな。机上の空論設定」
「こんなもん書いて送ってくる時点で、十分暇人だ!」
「あっ、鍋来たわよー、鍋ー!譲君、おたま取ってくれる?」
「はい、どうぞ。あ、すみません生おかわり。――あ、高耶は?そんなめだか汁飲んでないで」
「め、めだか汁……?」
「うん。ほら、めだかが泳いでそうな色してるよ、そのチューハイ」
「まぁ、観光する暇もねぇんだし?せめて、北の大地で蟹食いて〜!芋食いて〜!まりも舐めまわして〜!っつう欲望ぐらいは許してやろうぜ?」

「そこまで変態じゃないぞ」

『北、違う、キター!!』

「高耶さん、ただいま戻りました」
「おかえり、あなた。……なーんて。なんで仰木だけ挨拶するわけ〜?つかおまえ、明日から出てくるんじゃなかったのかよ」
「おまえたちがここにいると聞いたものだからな」
「ああ、どこに本庁の人間が潜んでいるのかわからないのがこの店の怖いところですよね」
「留守中、何か変わったことはありませんでしたか?高耶さん」
「おまえの仕事のことまで知るかよ」
「いえ。仕事ではなく、あなたが」

「……」
「ひゅー」
「ひゅー」

「……背筋のうすら寒くなるようなステキなステキなお話しをどうもありがとうございました。で?このたびのくそったれラブストーリーもどきは何を元に強引な妄想を見せたんでしょうか」
「うわ、高耶棒読み」
「そうですね、あれはアフリカ好きな教授から押し付けられたシベリアンハスキーと、大学の獣医学部学生が、恒例の冬の犬ゾリレースに出場することで信頼と愛情を重ねることで、次第に絆が深まり恋人になる話を」
「――待て」
「書こうとして、公務員倫理に反するかと思い」
「――ッ!まず人としてどうだか考えろ!」
「せっかくの北海道ですし、ススキノとか有名だなぁと――あ、行ってませんよ。ご心配なく――思って、夜王や嬢王より、もっとリアルな歓楽街ストーリー・その名もリア王を――」
「シェークスピアじゃねーか!なあ千秋!このベル押したら、こいつの下の床がパカンと開いて奈落に落ちるようなトラップはねえのかなぁ!?」
「変な顔して笑うなよ怖ぇ。残念ながら普通に店員が来るだけだろな」
「普通!ああ、なんていい言葉だちくしょう。普通の会話がしてえよ、オレは!」
「だいたい直江さんて、なんで高耶のこと好きになったんでしたっけ」
「譲!おおおおおおまえなんでこの流れでサラッとそういうこと聞けるんだ。しかもオレの目の前で!」
「えーと、あれはようやく残業を終えて、県庁の前でタクシー待ちをしていたところに、高耶さんがやってきたんです。ね?」
「そ、そうか?そんなこと……なかったような気ィするけど……オレが覚えてないだけか?」
「真っ暗でお互いの姿も見えず。しかしすぐに私たちは互いを近しいものであると認め、次に昼間、合う約束をしました。『県庁の前で合ったものです、って言えばいいか?』『県庁の前で、だけでわかりますよ』『じゃあ合言葉は――」
「ストップ。それ、『あらしのよるに』でしょ。あらよるでしょ。直江さん、自分が狼で高耶をヤギにするわけ?何度も高耶のこと食べようとするわけ?で、最後は二匹だけで手に手をとって逃げるわけ?こう言っちゃ今さらだけど、雄と雄で?そのまま最後は広い草原で満月でも見ちゃうわけ?いくらクビにならないからって、職場放棄は許されないと思うんだけど?」
「……コホン。嵐と言えば去年の台風のとき。第四中、第三配備まで駆り出しがかかり、大規模な災害対策本部が設置されたことはまだ記憶に新しいでしょう」
「あー、あったねぇー」
「激しさを増す暴風雨。夜の12時をまわっても次々と避難所から入る連絡。狭い会議室で電話番をしていた私たちは、避難住民にとうとう最後の自分たちの毛布と食料を差し出し、一枚の毛布に二人で身を寄せ合い少しでも暖をとろうと抱きしめあ――」
「てめえ!このっ、創作すんなー!!」
「本当は、通勤電車でバナナ・フィッシュを読みながら泣いているあなたに一目惚れ、かつ、そんなアッシュ・リンクスに男として嫉妬したのがきっかけで」
「バ、バナナフィッシュにマックシェイク……?」
「申し訳ありませんでしたぁ!たいした実力もないのにあなた様との仲を捏造しようなんて、大概おごりたかぶっておりましたぁ!」
「いきなり態度変えるなぁ!エチュードするなぁ!!」
「――常に仮面を被るのです。マヤ」
「マヤじゃねえし」
「タカヤ!ねえ聞いて。私たちの名前、全部地球の花の名前になるの。紫苑に木蓮に槐に玉蘭に繻子蘭に秋海棠に柊。すごいわ。ああ、早く地球に帰りたい」
「花でもねえし……」
「てゆか、なにげに直江さん、少女マンガ読みすぎ」
「いやいや、ツッコムところはそこじゃねえだろ!!」
「すみません高耶さん。遊びすぎましたね」
「……直江」
「まあ、いつも遊んでいるんですけど」
「直江てめぇっ!」
「また別に、いろんな意味で今回は遊びすぎました。だから……すみません。反省してます」
「こんなもん書いてる暇があったら寝ておけ。むしろ永眠しろ。4年に一回ぐらいは決裁板で叩いて起こしてやる。おまえがいくら上司だからって、人権侵害のほうが性質が悪いから、よし」
「てゆかだいたいおまえさんも飽きないねぇ」
「転職すればいいんだ。こんないい年こいてマンガ好き」
「そうですか?子どもだけでなく大人にも夢を与えるマンガ家は素晴らしいなぁ、と思いませんかねぇ。まあ、私もそう思ったのは最近なんですけどね。もともと夢のない子どもでしたから」
「いやだ!ならオレの夢も聞け。20で県庁入ったら30頃に3個目の職場で庁内結婚。二人で役所に婚姻届提出して、担当の係の人と、結婚指輪と一緒に写真撮ってもらったりする」
「いや、しないでしょう、あなた」
「それからお互い励ましあって働く。きっと相手も辞めないだろうから、二馬力だ。そのうちタマのような子どもも生まれて、俺も一生懸命、命名辞典とか見て名前を考える。シンプルではっきりしたのがいい。この前見た乳幼児リストはいい反面教師だ。最近の子どもはひどい。特に双子。絶対にオレは、空牙と亜義人とか、玲座と羅紋とか、ぷりんとしょこらとか、聖韻人と聖矢とかつけねーぞ!」
「玲座と羅紋は、今頃つけた親のほうが後悔でしょうね。あんなにあっちが有名になるとは」
「読みやすくて、子どもに名前の由来を聞かれたときにはっきり答えられるような名前をつけたら、自由にのびのびと頑丈に育てる。お、奥さん…が育児休暇3年とったら今度はオレがとる。二人で協力して家族3人か4人か5人とかで仲良く暮らして停年まで勤めあげたら二人の退職金で海外旅行してまわるんだ――!」

「高耶ってばそんな一気に」
「しかしまたむちゃくちゃ現実的だね」
「つうか出るのおまえさんたち退職金とか」
「まぁ、退職金としては出るんじゃない?額はわかんないけど、一応今んとこ社会のルールだから、その制度が破綻しない限りは。年金は怪しいけどねー、少子化だし。やっぱり財形貯蓄増やしておこうかなぁ」
「あ、譲君!今財形いくら入れてる?」
「月1万です。一人暮らしなもんで、これ以上増やすと苦しいんですよね。綾子さんは?」
「去年からちょっと頑張って3万にしてるのよー」
「さっすが金持ちだぁねぇ〜」
「アンタはもう遊んでてもいいぐらいお金持ってるでしょ。こっちは生活かかってるんだから。は〜、年とっていいことって、お給料があがることだけよね〜」
「そういや売店見て思ったんだけど、カニパンがあるのにエビパンがないのはおかしくない?」
「エビはカッパえびせんがあるからだろ。それより俺は最近どうもブラックサンダーが小さくなった気がしてやまねえ」

「……なに盛りあがってんだあいつら。と、ともかく直江!アレは、明日職場でシュレッダーにかけるからな」
「なにもシュレッダーまで」
「100%個人情報あり、だろうが」
「個人情報保護は県としても重要視される問題であり、慎重かつ重大な認識を持って運用にあたるべく、判断は私に委ねていただきたい所存で……」
「使用方法は正しく言え!!今保護されるべきなのはオレの人権だ!」
「それで明日はバレンタインなんですが」
「……聞いてねえ。聞いてねえ、てめえ!こっちの話も、そんなことも!」
「ダメですか」
「……そんな犬みたいな目で見てもダメだ」
「どうしても、ダメ……ですか」

「あ、高耶が弱ってる」
「あら、高耶が頭掻いてる」

「……明日昼休み、代わりに売店に行ってやる。おまえが好きなもん頼め。煙草でも……なんでも」

「あ、高耶が落ちた」
「あら、高耶がギリギリの譲歩」
「さあ!それに対して直江の反応やいかに!」
「さあ!両者無言の末に口を開く!」


「……それだけですか?」
「……一回だけだぞ」


『ハモった――!』


「……ああ」
「……ん?」


「いちおう善処しますが、高耶さん、念のため明日は有給をとったほうがいいかもしれません」
「何の話をしてる――!!」

 と叫んだとき、高耶は気づいた。あ……?視界がぼやけてる。そういえばさっきから皆の声しかしてない。誰がしゃべってるのかいまいちよくわからない。ごちゃごちゃと譲たちの声と、目の前にいるだろう直江の声が交じって……おかしい、そんな飲んでないはずなのに――
「高耶さんッ!?」
 あーもう叫ぶなよ。本庁の人間だっているんだからな。普通の職員とこんなことやってるってバレたら、いろいろまずいだろうが――おまえ一応室長なんだか、ら……。
 遠ざかる意識の中で、高耶は慌てて自分を抱き起こそうとする直江に、声には出さずにそう言っていた。






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