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4)
「うわ、まぶし」
病院から一歩出ると、視界が一気に白い光で覆われる。なかなか目が開けられない。オレたちは炭酸ジュースを一気に飲みほした後のように、ともに眉間に力をこめて何度も慣れるまで目をしばたかせた。すごく暖かい。
「散歩日和の陽気ですね」
散歩、か。なんかレトロな響きだ。言葉自体、久々に聞いた気がする。
もうずっと昔、祖母と夕陽の沈もうとする農道を抜け、潮の匂いのする海岸沿いを歩いた。どうしてこんなにしわしわの顔をした腰の曲がった人が、子どもの自分よりもずっとずっと元気に、散歩と称してどこまでも歩けるんだろうと半ば呆れながら、それでもつないだ手は水気のない代わりに畑仕事のせいで力強く、ああそうかこれならと子ども心に納得もした、そんな記憶。
成長してしまうと、目的がないと出歩かないものだな。自分が必要な視界のみを見て生きることができるようになってしまう。広くなったようでいて、実は決まったルートの一本隣の道さえ入りこんだことがないくらい狭い世界で過ごしているんだろう。
そんなことを考えながらオレは学校指定の革靴を鳴らした。
ざく、ざくという間に重なるように先生の足音が伴奏を奏でる。束の間の連弾は短い砂利道とともに終わり、さてどこに行こうかとオレたちは少し立ち止まった後、とりあえず商店街のほうへと足を向けた。
「髪切ったんですね」
と、先生が言う。
「少し」
「大人っぽくなった」
バスが横を通りすぎたタイミングに合わせて、「どうも」と唇だけ動かした。彼が騒音で聞こえなかったと思うように。
ええと、こういう場合どういう反応を返せばいいんだ?素直に「本当ですか?」とでも嬉しそうに聞き返せばいいのか。単純にそう返すのも単純すぎてガキのようだと、背伸び中のプライドと抑圧がごちゃまぜになって、まぶしさからじゃなくて眉をしかめた。
路地を行くと雑貨店があった。
寄っていいかと先生は聞き、もちろんと答えたオレとともに、パジャマやぬいぐるみがところ狭しと置かれている店の二階へと階段を上った。こちらはもう少し小さめのギフト用品や雑貨があった。コップや石鹸を手を楽しそうに選んでいる女子高校生の姿に、自分も制服のままだったことを思い出して、どうもやや場違いだなとちょっと居心地悪くなっていると
「こういうのは家にありますか?」
と先生が花を象った蝋燭やらピンクの陶器の小皿や線香みたいな棒を手にしてやって来た。なにを買うのかと思ったらアロマキャンドルのセットだった。見たことないとオレは答える。妹の部屋までは知らないが、寝るときと勉強してるとき以外は妹は居間にいるし、特にオレもあいつの部屋で見たことはない。
すぅ、とバニラの香りがした。いつの間にかこちらを見ながらひそひそと話していた女子高生たちの横を、先生は彼女らの注目などまったく気づかぬようにするりと抜けると、
「プレゼント用に」
と、レジに置いた。一から始められるようにもうすべてそろえられたそれらは、ピンクの紙袋に入ったあと、
「妹さんへ。バレンタインのお返しに。ホワイトデーに遅れてすみませんと伝えてください」
「えぇ?いいですよ、もうそんな。あの日、花ももらってたでしょうアイツ」
驚いて返そうとしたが、彼がこれを持っててもしかたないとすぐに気づいて、しぶしぶ受け取った。結構いい値段だったろう。レジを見てなかったのが惜しかった。先生はそんなオレの意図に気づいたのか気づいてないのか、アロマキャンドルの商品棚から離れるように、自然とオレを誘導した。
革靴で階段を鳴らしながら、一階へ降りる。
自動ドア近くでふと立ち止まると、彼は戯れのように机に並べてあった黒いサングラスをかけてみせた。そのままこっちを見る。オレは笑った。
「似合いませんよ」
すぐに外した顔が不満を示している。それが滅多にないくらいわかりやすかったので、とっさにむずつく口を手の甲でおさえた。
「なにがおかしいんですか」
「いえ、別に……。先生はやっぱり裸眼がいいですよ」
取り繕うように、でも本心から言うと、もういつもの顔に戻った彼がこっちを振り返った。そのままグラサンを持った両手をオレのほうへ伸ばす。
「ありがとう。綺麗な目ですね」
自分のことを言われた、と気づくまでにたっぷり数秒かかった。一気に暗くなった視界でふっと彼が笑ったのがわかった。あ、え?とオレがひどくとまどったときには、すでに彼はもう自動ドアを抜けて外に出ようとしていた。
慌ててかけられたグラサンを外して机に置くと、後を追う。なにがなんだか。やっぱりどうもかなわない、と振り回されてばかりの自分をけして嫌じゃなく思いながら、彼の背中を追って飛び出したオレを、眩しい光が一気に出迎えた。
「さて、何を食べましょうか。和・洋・中どれがいいですか?」
「なんでも。先生の好きなので」
と答えたとき、ひらひらしたスプリングコートをなびかせた女とすれ違った。首元にネックレスが光っている。化粧の濃い顔より下を包む、あまりに色彩豊かな服に目を奪われて、オレたちは自然と立ち止まり、顔だけ振り向いてややパーマのとれかけた彼女の背中を目で追った。白にいくつも色とりどりの線が入った裾がひるがえる。あれは……
「……レジャーシート」
「ああ!」
納得いったように先生が大きくうなずいた。そして、本当だと堪えきれずに吹き出す。もしかしたらブランドファッションとしてのデザインなのかもしれなかったが、遠足や家族で公園に行ったときに芝生の上に敷いた白いビニールシートを思い出すと、もうただの安っぽい妙な服にしか思えなくなった。てかてかした素材もそっくりだ。
「確かにあった」
「ありましたよね。ああいうの。懐かしい」
オレもくすくすと笑った。エセマダムは高いヒールをかつかつと鳴らしながら、ビルの外に設置された階段を登っていった。上はこじゃれた小さなレストランだ。「ランチバイキング1200円」と看板が出ている。同じことを考えたのか、先生がそれを指で示した。
「いけますか」
もちろんだと、わざと挑戦的に見返してやる。
「先生こそ。そんなに食べれるんですか」
「医者は体力勝負ですからねぇ。私は結構食べますよ」
「そうですか?そうは見えませんけど。オレは余裕ですよ」
「おや、じゃあ勝負しますか?」
穏やかながらも口端をあげてのってきた彼に、
「成長期をなめないほうがいいですよ」
と忠告してやると、
「まだ私も抜いてないくせに」
「!」
ふっと口調を崩した彼に、不思議な高揚感が押し寄せて言葉につまった。
オレのような年下相手にもなぜかかたくなに敬語を崩さない彼が、ふと近くなった気がして舌先が軽くなる。もっと。できたらもっと、見せてほしいのに。ふと垣間見るこの顔が、妙に胸を騒がす。懐かしい思い出とともに旧知の友に会ったような、デジャヴ。
「先生がもとから高いんですって」
「いいでしょう」
すました顔が、さっき来た道をすたすた歩きだす。
「いいでしょうって……」
子どもみたいな自慢のしかたに苦笑しつつ後を追う。同時に彼もめずらしく機嫌がいいのだな、と悟った。風を受けている横顔が、気持ちよさそうな猫みたいだ。いつもオレのやや後ろで見守るように静かに微笑んで、あまり自ら先に歩いていくことをしない彼も、自分でも気づかぬうちにどこか浮き足立っているのかもしれない。
ならば感謝しよう、この生物すべての顔をゆるませる春の陽気に。
「食べ終わったら花見に行きましょう。レジャーシートはないけれど」
「はい」
からかうような笑みを刻んで、ひとまず腹ごしらえだとオレたちは、足早にビルのほうへと戻りはじめた。
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