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5) 「おまえはこわい」 とぼやきながら、友人が俺の机のほうへとイスを寄せた。 昼休みになった教室には適度にざわめきが満ち、あちこちのグループがそれぞれの昼食を広げていた。オレは待っていた間読んでいた文庫本を閉じて、カバンから弁当を取り出すと友人を見た。 「誰が怖いって?」 「おまえだおまえ。なんで倉田をふる?」 「ああ……って、なんでそれがおまえにまで伝わるんだ」 「8組で女子が騒いでた。おまえ知らんだろう、友情の熱さってやつを。あれくらい完ぺきな美人になると、男だけじゃなくて女にももてる」 「だろうな、いい子みたいだったし」 紅潮させた頬で微かに笑って去っていった女子生徒の名前を思い出しながら、 「髪が綺麗だったな。あれで頭下げられたらやっぱり少しドキリとした」 朝温めなおしたのか一晩たってよく味の染みた里芋を箸でつまみながら、オレは適当に相槌を打った。 「俺はそう思ってるおまえが、なんでつきあわないのかが不思議だよ」 購買のパンをブリッツパックのコーヒーで飲み下しながら、一日はぼやいた。 「なに、ツイタチ」 しきりに玉子焼きを指さしてくるので、蓋に乗せて机に滑らせた。しかたないやつ。目の前にやってきた黄色い中に緑が鮮やかにちらつく食べ物を、一日は実に嬉しそうに手でつまんで口へと投げ入れた。 「ごっそさん。あいかわらずうまかった」 「伝えとく」 代わりに、とすすめてきたラスクを断って、これは冷食だろうクリームコロッケを咀嚼したところで、「なぁ」と一日が不満そうな顔をした。 「おまえ好きなやつとかいるの」 わざわざ顔を覗きこんでまでそう聞いてくるので、思わず苦笑した。 「今はそういう気になれない……じゃあ、ふる理由にならないのか?」 「いないのか」 「つきあいたいとか、そういう人は、いない」 濁しながら、そっちは? と聞いてやる。特段決まった相手を作らないというスタイルの友人は、交友範囲の広さと持ち前の器用さでよく女と二人連れのところを見る。「あ、今つきあってる子かな」と思うと、翌月には違う相手と親しそうに腕を組んで帰っていく。好きな相手は? というより、今狙ってる相手は? という意味の問いだった。カラカラとよく笑う一日は、へっと軽く口端をあげてみせた。 「オレもいねぇ。けどオレは少なくとも向こうから、しかもあんなかわいい子にお願いされてフるような、もったいない真似はしない」 「とりあえずつきあえって?」 「歓迎しろとは言わんが、あ、ラッキー、くらい思えんのかねおまえさんは」 音をたてて飲み干したパックを、ぎゅっとひねるとゴミ箱へ目がけて投げる。ねじれたそれは綺麗な流線を描いて見事に穴へ入った。続いて、パンの袋をまとめたビニール袋も同じようにシュートを決めると、ヒュウ、と口笛を微かに鳴らして、さてとばかりに一日は俺に詰め寄った。 「倉田だけじゃない。わざとつくらないよな。おまえの場合。なんでだ」 「オレはそんなに情報持ってるおまえのほうが不思議だよ。なんでだ」 「なめんなって。俺はおまえと違って社交的なんでね、勝手に耳に入ってくんの。なんなら羅列してやろうか。おまえが去年一年でつきあわずしてふった女子の名前」 「遠慮しとく」 嬉しくもない提案をあっさり辞退して、オレは軽く手をあわせて、妹と食べ終わった食材に礼を示して蓋を閉じた。こいつが口端をあげて眉をしかめ「ジジくせぇ」と笑った習慣だ。 「カノジョとか欲しくねぇの」 「というか……なんていうんだろう、必要性が感じられない。別に誰かと一緒に弁当を食いたいとか、毎日電話をしたいとか、毎朝一緒に学校に出てきたいとか思わないし、特に行きたくもない場所に週末行くくらいなら、一人で好きなところに行く方がよくないか?」 「相手がかわいけりゃ一緒に出歩くのも悪くねぇだろ」 「人をアクセサリみたいに扱う方がよっぽど失礼だろう」 痛いところを突いたらしい。一日はこめかみを掻きながら、ま、そうだけどよ…とひるみ、 「うーん、でもほら、つきあってないとやれないことだってあるだろう?」 あたりをはばかるように声をひそめた。その意味深な仕草に苦笑しながら、軽く返してやる。 「つきあってなくてもやれた」 「嘘。その後つきあうとかなるだろ普通」 「それはちゃんと断った。それとこれとは話が別だろう。ちなみに昨日のあの子じゃないから安心しろ」 おまえって、と一日が呆然とした。 「……けっこう鬼畜だ」 はぁ、と脱力しながらげんなりとつぶやかれた。 「なんだ、鬼畜って」 仰々しい。そんなんじゃない。 「やりたいことが明確にわかってたら、こっちも対処しやすいんだ。できることはできるって言うし、ダメなら断る。ただ、つきあってとか言われたら……なんかすごく困る」 と答えたオレに、「あのな」と一日は真顔になった。 「おまえは理想が高すぎる。違う、女の趣味じゃねぇ。まぁ、そう考えてみりゃ、つきあってますってのは周りへ自分たちの関係をわかりやすく教えてるだけだ。ただの所有宣言や独占欲のわかりやすい形なのかもしれない」 けどな、と一日は念を押すように言った。 「恋愛ってのは少しくらい恋に恋しなきゃいけないもんだ。相手との電話やメールをどきどきしながら待つ、みたいな恋愛中の自分に、酔わなきゃならない。おまえみたいに、他人と触れ合うのを最初から放棄してどうする?」 友人の真剣な心配が伝わってきて、オレはやや戸惑った。指摘はあながち外れじゃない。ふざけたように見えて人間観察の得意な奴だ。 自分は他者と深く絆を結ぶことを放棄しているのだろうか。いや、そういうわけじゃない。ただ自分は知っているだけだ。つきあうとかつきあわないとか、そういう形を越えた関係が在ることを。 それが夢物語なのはもとより、現実で通用することなどほとんどないことを知っていながら。 「……」 やはりまずいだろうかと顔が曇る。 もう一年以上見続けているあの夢は確かにいつのまにか自分の基盤となっている。それが吉と出るか凶と出るか。答えはまだ、まったく姿をあらわしていない。 いつかいい年だからと、『一緒に生活するのにふさわしい相手』を求めるようになるのだろうか。 なんとなく自分で仮定してぞっとした。 世間体や義務で結ばれた契約。ぞっとしたのは、今それをあっさりしてしまえるだろう自分自身へだ。永遠に愛して。あたしだけ愛して。そんなことはできずとも、「結婚して」と言われたらいいよと言ってできるんじゃないだろうか。「つきあって」が駄目でも「じゃあ寝て」なら可能なように。 紙に書いて式をあげて周りに関係を表明して浮気をしない。一緒に生活をする。子どもを作って「家庭」で過ごす。愛して離れたくないからそうするんじゃなく、すべて相手が望むならしてやってもいい、と思える程度のことだ。義務じゃないけど、ガラスの中のできごとみたいに関心が薄い。拒絶はしない。けれど興味はない。 してやってもいい……か。 そこまで想像して、内心嘲った。 「おまえの言うとおりだな。オレは結局、他人を寄せつけない。受け入れない。怖いとかじゃなくて、ただ踏み込まれるのを厭ってるんだ。つまりオレにはまだ人一人を抱え込む広さがないんだろう」 「来るもの拒まず去るもの追わず、なんだよなおまえは。警戒心がないのは自分に自信があるからだろ。ほとんどの面倒は自分で処理できちまうから。で、もっと欲張って入ってこようとするといきなりでーんと壁が厚くなっちまう。どうでもいいところはあけっぴろげのくせに。だからな、俺は誰か一人決めて、ちゃんとつきあってみるのもいいんじゃねーかって思っちまうわけよ。どうだ。俺は余計なお世話をやいてるか?」 「いや……」 心の余裕のなさはそのまま人間の小ささだ。自分の未完成さをくっきりつきつけられた気になってオレはもう一度眉をしかめた。いつか……できるだろうか。自分じゃない人間を、自分以上に愛するなんて、そんな想像もできない大きなことが。ふと、夢の中のあの人の面影が浮んだ。 「わかってるよ」 ……ただ今は。 「形だけなぞることはしたくないんだ」 息を落とすように弱めた声にオレの真剣さを感じとってか、一日は黙った。 へぇ、と意外そうにぐねりと頬を動かし、 「なんだ。俺の誤解か」 なんだ、と嬉しさを隠すように口端をわざとらしくあげて、おどけながら「なんだ」と過ぎた心配を照れたようにくり返した。一日の言ってたことは正しい。少なくとも昔はそうだった。ただ、オレが変わっただけ。 「……青くさいことを言っているだろうか」 しゃーね、と一日はオレの真剣さを読み取ったあと、ややして笑った。 「まだ高3だ」 と、大きなあくびとともに机にふせる。「俺たちは17だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと誰にも言わせまい」 そうだな、とオレもふっと肩の力を抜いた。 「アデン・アラビアか?」 ん。とのんびりとした態度で、一日はうなずいた。 「じゃあ、おまえからコクるなんてのも、当分の間ありえないってか」 「告白だけなら」 とっさに出たオレのつぶやきは聞き逃されなかった。ぴたりと動きを止めてうつ伏せの姿勢で続きを待つ一日の頭を見下ろしながら、いたずらっぽくオレは笑った。 「つきあうって行為はよくわからないけれど、想いを伝えること自体は、すごく意味のあるものだと思う。告白だけならしてもいい」 「誰に」 もぞもぞと顔だけあげた一日が、期待に満ちてオレを見上げた。 ――誰に? 問われてオレは目を伏せ、ゆっくりとその人を想い描いた。そして、本当に伝えたいのだろうか、と自問する。 告白は、した方だけが満足する一種のエゴ行為だ。しかもタチの悪いことにオレの場合、つきあってくれとか結婚してくれとか見返りを提示できないだけに、言われたほうがひたすら困るだけの悪質なものだ。相手にして欲しいことがない告白は、同時に「それはできない」という逃げ場所も奪う。 けれどそんな我侭な自己満足を超えて、この気持ちをいつか知ってほしいという逆らいがたい欲求が、確かにあるのもまた事実。 オレは弱ったように笑ってみせた。そういえば、彼女のつややかな髪だけがやけに印象深かったのも、あの人の手触りのよさそうな黒髪を重ねて見たからかもしれないな、と思いながら。 「綺麗な人だよ」 「…………どこの天女だ、そりゃ」 思いっきり期待外れだと、一日が、バターが溶けるようにゆっくり机に顔を埋めていった。 |